第52回目の今日お届けしたのは、「ブレッド&バター/特別な気持ちで(I Just Called To Say I Love You)」でした。
1943年神奈川県茅ヶ崎市に生まれた兄・岩沢幸矢(いわさわ・さつや)と、1949年生まれの弟・岩沢二弓(いわさわ・ふゆみ)の兄弟は、それぞれ高校時代からバンド活動を始め、兄・幸矢は明治学院大学へ、弟・二弓は独協大学へ、それぞれ進学後も、バンド活動を続けていきます。
その後、大学卒業を控えた兄・幸矢は、「就職探しの旅」と題して、ひとりアメリカに渡ります。当時のアメリカは、“自由に生きよう”という思想が全盛の時代で、兄・幸矢もその影響を受けて、就職して束縛されるよりも、自由に好きな音楽をやりながら生きていこう、と心に決めます。
また、アメリカで観たサイモン&ガーファンクルの音楽に影響を受けた兄・幸矢は、「日本では珍しい、兄弟デュオで、フォーク・ロックをやろう」と決め、アメリカから帰国後、弟・二弓を誘い、二人で兄弟デュオ「ブレッド&バター」を結成、1969年、シングル「傷だらけの軽井沢」でデビューします。「筒美京平、橋本淳という、当時の歌謡界のヒットメーカーコンビのオーディションに合格し、デビューが決まったブレッド&バターの二人。
「デビュー曲「傷だらけの軽井沢」は、筒美京平、橋本淳というヒットメーカーによる作品でしたが、ブレッド&バターの二人がやりたい音楽という形ではなかったと思います。むしろ、翌1970年に、ブレッド&バターの二人が初めて作った曲として発売されたシングル「マリエ」の方が、ブレッド&バターにとってのデビュー曲のような感じがしますね」。ブレッド&バターのレコーディングスタッフとして関わりを持ち始め、今はマネージャーとして二人を支える村岡さんは、こう振り返ります。
1969年のデビュー後、シングルとアルバムを、それぞれ1年に1枚の割合で発売、そしてライブを中心に音楽活動をしていたブレッド&バター。「発売したレコードは、セールスチャートにランクインはしませんでしたが、二人はもちろん、周りのスタッフも、特に悲観的になる訳でもなく、気にはしていませんでした。彼らが納得できた作品を作ることができたら、それでOK。レコード会社としても、それで良かった時代なんです」。当時について、村岡さんはこう振り返ります。
その後も、マイペースな活動をしていたブレッド&バターは、1976年3月にライブアルバム『BREAD&BUTTER』を発売した後、活動を休止することを決めます。
「彼らは、デビュー後、一環して自分達がやりたい音楽活動を全てやりきったと感じて、しばらく音楽だけの生活から離れてみよう、という気持ちになったんです」。
音楽一辺倒の生活を離れたブレッド&バターは、彼らの故郷でもある神奈川県茅ケ崎にカフェ「ブレッド&バター」をオープン。ミュージシャン、モデルの卵、サーファーなど多くの仲間達に囲まれながら、ブレッド&バターは、今まで以上に自分達のペースで音楽活動を続けていきます。
「彼らは、茅ケ崎で、のんびりと音楽活動をやり始めると、かまやつひろし、松任谷由実など数多くのミュージシャンと交流を持ち始めました。しばらくすると、彼らの気持ちの中に、再び音楽シーンに戻る気持ちが湧いてきたので、「じゃあ再デビューだ!」という話になり、せっかくだから話題性のある作品を作ろう、という話になりました」。
1979年6月、ブレッド&バターは、カフェ「ブレッド&バター」の常連客だった松任谷由実が、ペンネーム呉田軽穂名義で、当時のカフェ「ブレッド&バター」の光景をもとに書きおろしたシングル「あの頃のまま」を発売。再び、音楽活動をスタートします。
「シングル「あの頃のまま」は、同時に発売されたアルバム『Late Late Summer』にも収録されているのですが、このアルバム『Late Late Summer』から、ブレッド&バターのイメージは、活動休止前と比べて変わりましたね。活動休止前は、自分達のやりたい音楽をただ単に勝手にやっているロック色の強い兄弟デュオ、というイメージがありましたが、活動再開後に発売した『Late Late Summer』、翌1980年に発売したアルバム『MONDAY MORNING』、そして1981年に発売したアルバム『Pacific』の3作に収録された曲は、どれもが夏や海…といった爽やかさを意識した作りで、ブレッド&バターのイメージが、爽やかな音楽をやるデュオに変わりました。彼らの音楽の方向性が、ハッキリしてきましたね」。
音楽の幅が広がり、夏のイメージが定着し始めたブレッド&バターの二人は、その後もマイペースで活動を続けます。そして1984年、ブレッド&バターは、彼らが心の中で気になっていた、ある曲をカバーすることを決めます。
「ブレッド&バターは、1973年に発売したアルバム『IMAGES』の制作する時に知り合った、ミュージシャンのスティービー・ワンダーと親しくなり、その後もずっと交流を続けていました。そして、1979年にブレッド&バターが、活動を再開するという話になった時に、スティービー・ワンダーが彼らに曲をプレゼントしてくれたんです」。
「スティービー・ワンダーから、曲のデモテープが届き、この曲をブレッド&バターの活動再開第1弾シングルとして発売するつもりでいました。カフェ「ブレッド&バター」の常連客であり、友人の松任谷由実が、ペンネーム呉田軽穂名義で歌詞を、同じく常連客の細野晴臣がアレンジを担当。レコーディング、アレンジ作業も無事に終わり、あとは発売を待つばかり、という段階で、曲を作ってくれたスティービー・ワンダー側から、「この曲を映画の主題歌に提供することになったから、曲を返してくれ」という話が届き、急遽、発売中止になりました。びっくりですよね」。
発売寸前で中止になったブレッド&バターの幻の曲。その後、スティービー・ワンダーが、1984年に公開された映画『ウーマン・イン・レッド』の主題歌として提供した「I Just Called To Say I Love You」(心の愛)は、収録された映画のサウンドトラック盤が全米アルバムチャートで3週連続1位を獲得、第57回アカデミー賞の主題歌賞を獲得します。
「ブレッド&バターの二人にとっては、再びビックリですよ。自分達が歌う予定だった曲が全米1位、しかもアカデミー賞まで獲得するのか?…ですから。でも、スティービー・ワンダー側から、オリジナル曲として発売するのはダメだけど、ブレッド&バターが、スティービー・ワンダーの曲をカバーするという立場で発売するなら、いいよ。という話になり、二人は改めて、レコーディング、発売することにしました」。ブレッド&バターの二人は、複雑な気持ちを覚えながらも、改めてこの曲をレコーディング、1984年12月、シングル「特別な気持ちで(I Just Called To Say I Love You)」として発売します。
1984年12月に発売された、ブレッド&バターのシングル「特別な気持ちで(I Just Called To Say I Love You)」。
「曲を、スティービー・ワンダー側に返した後、この曲をめぐって、スティービー・ワンダーは、当時の彼が歌詞を共作していたパートナーとの間で、著作権の問題で裁判になったんですね。その時、アメリカ大使館を通じてブレッド&バターに、「これは本当にスティービー・ワンダーが作った曲か?」という問い合わせがあり、スティービー・ワンダーがブレッド&バターに送ったデモテープが証拠となって、スティービー・ワンダーは裁判に勝ったんです」。
「裁判に勝ったスティービー・ワンダーは、喜んで、ブレッド&バターのふたりに改めて感謝をし、新しく別の曲をプレゼントしてくれました。そんなスティービー・ワンダーとの関係もあったので、ブレッド&バターの二人にとっては、余計に印象深い曲になったと思います」。村岡さんは、こう語ってくれました。
今日OAした曲目
M1.水曜の朝、午前3時/サイモン&ガーファンクル
M2.マリエ/ブレッド&バター
M3.あの頃のまま/ブレッド&バター
M4.特別な気持ちで(I Just Called To Say I Love You)/ブレッド&バター