FRESTA Bimi Smile presents 食卓ON楽

食卓音楽


« VOL.74「メキシコ産アボカド」メインVOL.75「江田島産ワシントンネーブル」 »

2009年2月27日
「One more time,One more chance/山崎まさよし」

第74回目の今日お届けしたのは、「山崎まさよし/One more time,One more chance」でした。

「自分がミュージシャンとして、人前で歌いたい。そんな気持ちを持ち始めたのは、19、20歳ぐらいの時。地元のライブハウスで、週に一度、歌うようになってからです。それまでは、人前で歌う機会も無かったし、今みたいに、ハードディスクに自分の歌を録音して、人に聞かせるようなことも無かったので」。山崎まさよしは、彼自身がミュージシャンになる夢を持ち始めた時期について、こう振り返ります。

1971年12月、滋賀県草津市に生まれた山崎まさよしは、8歳の時に山口県防府市に移り住み、地元の中学、高校へ進学します。
「小学生の頃は、歌謡曲を聞く、どこにでも居るような普通の少年でした。中学生の時、親からドラムを買ってもらい、友達と見様見まねでバンドを結成。高校に進学後、エリック・クラプトン、ロバート・ジョンソン、マディー・ウォーターズなどのブルースを聞きはじめ、自分もギターで曲を作るようになりました」。
1990年春、山崎まさよしは高校を卒業後、アルバイト生活をしながら、毎週土曜の夜は、地元山口県周南市のライブハウス「ブギーハウス」に出演。ギター1本、弾き語りで、自分が作詞・作曲した歌を人前で歌うようになります。翌1991年、山崎まさよしは、偶然目にした雑誌に掲載されていた「キティ・グループ」の新人オーディションの記事を見つけ応募。山崎まさよしは、千人以上の応募者の中から、審査を通過し、最終審査に進む10数名に残ります。しかし、東京で行われた最終審査直前に、山崎まさよしは、このオーディションが新人歌手募集のオーディションではなく、新人俳優募集オーディションであることに気付きます。

しかし、山崎まさよしは自分の勘違いにも負けず、最終審査の場でギターを弾きながら、自分が作った歌を歌い、審査員を唸らせ、審査員特別賞を受賞。そのオーディションに、審査員として参加していた音楽プロデューサーの目に止まり、山崎まさよしは、ミュージシャンとしてデビューするために、1992年10月、上京するのでした。

「デビューするために上京し、約2年間は、東京や横浜のライブハウスで歌ったり、事務所の先輩、杏子さんなど他のアーティストへ楽曲を提供したり、CM音楽を作ったりしていました。もちろん、自分の曲も作っていましたが、この2年間は色々な音楽経験を積んでいました。正式にデビューが決まっても、自分の曲がCDとなってお店で発売されるまでは信じられず、店頭に並んでやっとデビューの実感が湧いてきたのが、正直な気持ちです」。デビュー当時にことについて、山崎まさよし本人はこう語ってくれました。こうして、1995年5月、“天才より凄いヤツ”をキャッチフレーズに、山崎まさよしは、シングル「月明かりに照らされて」でデビューしました。

その後、山崎まさよしは、「四谷フォーバレー」「原宿ルイード」などのライブハウスで、定期的にライブを行いながら、アルバム制作に打ち込み、シングルデビューから約1年後の1996年4月、2年間かけてじっくり制作したデビューアルバム『アレルギーの特効薬』を発売します。こうして、聞く人を、ノスタルジックで切ないメロディと声で魅了する山崎まさよしの歌は、少しずつ音楽ファンの心を掴んでいきます。
「僕は、曲はインストゥルメンタルでもいいと思うんですが、作ったメロディに歌詞を乗せ、より具体化された“歌”と言う表現方法を使えるチャンスがあるのなら、シンプルだけども、聞いてくれた人の心に響く、そんな歌を作って歌っていきたいと思っていました」。山崎まさよしは当時をこう振り返ります。

ライブハウスから、ホールクラスへ。山崎まさよしのライブ動員は、着実に増え続け、1996年夏には、全国各地で行われたライブイベントにも出演し、多くの観客をまた魅了していきます。そして9月には、後にSMAPがカバーしてヒットする楽曲「セロリ」を、3枚目のシングルとして発売します。
1996年9月に発売された、山崎まさよし3枚目のシングル「セロリ」は、彼にとって、初めてセールスチャートにランクイン、最高位68位、約3万5000枚の売上を記録します。しかし、山崎まさよしは、その直後の10月から、自らが主演を務めることが決まっていた映画『月とキャベツ』の撮影のため、一時音楽活動を休止します。
「映画『月とキャベツ』に主演として出演して欲しい、という話は、偶然、ライブを見た、映画監督・篠原哲雄さんが、僕を気に入ってくれ、話を持ってきてくれたものです。役者として出演するだけでなく、映画の主題歌、サウンドトラックも手掛けて欲しい、という話でした。96年の10月から、映画の撮影が本格的に始まり、約1ヵ月、群馬県に作られたセットに籠り、撮影しました。籠る、と言うよりも、まるで長いプロモーションに出掛けている、そんな感じでした」。

約1ヵ月の映画のロケが終わった後、山崎まさよしは、映画の主題歌として、彼が山口から上京して間もない頃に作った、ある曲を起用することを決めます。
「この曲は、僕が山口から上京し、横浜・桜木町に住む場所を構えた時に作った曲です。当時、夜は(横浜の)ライブハウス「横浜ビブレ」などで歌っていましたが、生活するために昼間は東京でアルバイトをしていました。毎日、横浜・桜木町から電車に乗って東京へ通う電車の中から、窓越しに見た街の情景。デビューするために上京したのに、なかなかデビューが決まらない日々。悶悶とした自分の気持ちを綴っています」。
「デビュー前に、曲は完成していました。ただ、スタッフはこの曲について、「この曲は歌詞、メロディ、どちらからも、強い力を持ったメッセ—ジを感じることができる。デビュー間もない時期ではなくて、ミュージシャン山崎まさよしの存在感が認められ、勝負を賭けるタイミングでリリースしよう」という考えで、しばらくは眠らせることになったんです。 映画『月とキャベツ』に主演することが決まったとき、映画のストーリーと、この曲の歌詞の一部が重なる部分があることが分かり、スタッフに相談すると、スタッフも同じ意見で、この曲を映画の主題歌として使うことを決めました」。

1996年12月に公開された、山崎まさよし主演映画『月とキャベツ』。隠居生活を送るミュージシャンと、ダンサー志望の少女との、出会いと別れを描いたラブストーリー映画の主題歌に起用された、山崎まさよし4枚目のシングル「One more time,One more chance」は、翌1997年1月に発売されます。

1997年1月、山崎まさよし4枚目のシングルとした発売された「One more time,One more chance」。発売と同時に、この曲はセールスチャート最高位18位、約31万枚の売上を記録、その後も、約半年近くに渡ってセールスチャートにランクインするロングヒット曲となります。
また、2005年大晦日に放送された「NHK紅白歌合戦」に山崎まさよしが初出場した際、彼はこの曲を、歌詞の中にも描いている横浜・桜木町からの中継で歌います。「人の心情を綴ったこの歌は、色々な場面で、色々な人達の前で歌い続けてきました。紅白でこの曲を歌うことになったのも、発売から年月が経つ中で、曲を聞いた人達の様々な想いが詰め込まれ、曲から、人の強い生命力を感じてもらうことができたからだと思います。曲に魂が宿っているんですね」。最後に、山崎まさよしさんは、こう語ってくれました。

歌に込められた、人の力強い生命力を感じることができる、J-POPバラードの名曲の誕生の瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.コカイン/エリック・クラプトン
M2.月明かりに照らされて/山崎まさよし
M3.セロリ/山崎まさよし
M4.One more time,One more chance/山崎まさよし