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食卓音楽


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2009年8月28日
「サディスティック・ミカ・バンド/タイムマシーンにおねがい」

100回目の今日お届けしたのは、「サディスティック・ミカ・バンド/タイムマシーンにおねがい」でした。

「北山修と一緒にリリースしたシングル「あの素晴しい愛をもう一度」をヒットさせた加藤和彦は、今度はソロで、CM曲にもなったシングル「家をつくるなら」とアルバム『スーパーガス』を発売し、これもヒットしました。さらに翌年の1972年1月には、吉田拓郎の大ヒットシングル『結婚しようよ』のプロデュースもしたり、まさに充実した音楽ライフを送っていたんです。そんな中、加藤和彦の音楽的思考は、次第にフォークから、UKロックへと変わっていきました。僕は、当時、加藤和彦と当時の妻・福井ミカが一緒に住んでいた麻布の家に、間借りさせてもらって、生活していたんですが、その頃、彼が住んでいた麻布の家には、つのだひろや、高中正義らミュージシャン仲間が毎晩集まって、加藤和彦が誰よりも早く手に入れた、洋楽の輸入盤を聴いて、お気に入りの曲のコード進行をコピーして遊んでいたんです。そのことが、彼の気持ちをロックに傾けさせることになったと思います。」
当時の様子について、レコーディングディレクターの新田さんは、こう振り返ります。

「当時、加藤が僕に口癖のように言っていたのが、「世界に通用するロックを作ってみたい」でした。同時に、彼は、ポール・マッカートニーとリンダ・マッカートニーのように、夫婦で一緒に音楽を楽しめる関係にも憧れていて、妻であるミカの個性的な声を活かして、一緒に音楽ができないか、と考えていたんです」。
1972年6月、加藤和彦は、プライベート・レーベル「ドーナツ・レーベル」を設立、同時にミカ、そして仲のよかったつのだひろの3人で、バンド「サディスティック・ミカ・バンド」を結成、シングル「サイクリング・ブギ」を発売します。

1972年6月に、1stシングル「サイクリング・ブギ」を発売したサディスティック・ミカ・バンドは、その後、加藤和彦、ミカ、つのだひろの3人に、高中正義、フォーク・グループ「ガロ」のバックバンドメンバーだった小原礼の2人がメンバーに加わり、9月に正式に活動をスタートさせます。その直後、つのだひろがバンドから脱退しますが、小原礼と共に「ガロ」のバックバンドを務めていた、高橋幸宏が、ドラマ—として加入します。
「メンバーが決まって、その年の12月から1stアルバムのレコーディングが始まったんです。今では当たり前になっている、レコーディングスタジオをずっと貸切状態にして作業を行う「ロック・アウト」を、彼らは初めてやったバンドなんです。当時のエピソードとしては、年末・年始のレコーディングで、お店が閉まっていたので、ご飯を食べるのに困っていたところ、仲の良かった、フォークグループ赤い鳥の山本潤子さんが、おせち料理を持ってスタジオに遊びに来てくれたんです。みんなが夢中になって食べていました」。
新田さんは、1stアルバムのレコーディング当時の様子について、こう振り返ります。
こうして、加藤和彦の「世界に通用するロックを作ってみたい」という夢が詰まったサディスティック・ミカ・バンドの1stアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』は、1973年5月に発売されます。

「1stアルバムリリース後、すぐに2ndアルバムの制作にとりかかったんですが、2ndアルバムを作る時に決めた
コンセプトは、「海外から見た日本」でした。それもあって、僕と加藤、高中、高橋の4人でロンドンに行ったんです。ロンドンでは、加藤が仲良くしていたイギリスのロックバンド、「ロキシー・ミュージック」のアルバムをプロデュースした、クリス・トーマスに会って、「サディスティック・ミカ・バンドの2ndアルバムのプロデュースをしてもらえないか」、とお願いしたんです。クリス・トーマスは、快諾してくれました」。
「それから、レコーディング作業中に、僕にはもう一つの使命が課せられました。「世界に通用するロックを作ってみたい」という加藤の夢を実現するために、僕は再びロンドンに向かいました。そして、東芝EMIのイギリスでのレーベルのひとつ「ハーベスト」のスタッフと交渉し、サディステック・ミカ・バンドの1stアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』をイギリスで発売させることに成功したんです」。こうして1974年5月、日本のロックバンド、サディスティック・ミカ・バンドのアルバムが、イギリスで発売されました。

1974年5月、イギリスでサディスティック・ミカ・バンドの1stアルバム『サディスティック・ミカ・バンド』が発売となったちょうど同じ頃、日本ではクリス・トーマスをプロデューサーに迎えて作っていた、2ndアルバムの制作が佳境を迎えます。
「「海外から見た日本」をアルバムコンセプトに作っていた、2ndアルバムは、江戸時代末期、黒船が日本にやって来た時代と、日本の音楽の世界に、ロックが到来したことをリンクさせることにしたんです。2ndアルバムから新たに加わった今井裕が弾く、静かなエレクトリック・ピアノの演奏で始まる曲「墨絵の国へ」を、A面の1曲目に据えて、加藤和彦の歌と高橋幸宏の語りが重なって、黒船の到来を告げる。そして、このアルバムのポイントとなるのが、加藤和彦が作った3曲目のこの曲です」。
「この曲は、加藤が、どんなメロディを作ったら、個性的なミカの声を活かした歌ができるかを考えて、作ったんです。加藤の頭の中には、当時、常に仲良く音楽活動を行っていた、ポール・マッカートニーとリンダ・マッカートニーの事があったんです。「自分達も、ポールとリンダのようになりたい」って想いが…」
こうして、レコーディング開始から、のべ400時間以上にも渡る時間をかけて作ったアルバムは完成、この曲「タイムマシーンにおねがい」も収められた、サディスティック・ミカ・バンドの2ndアルバム『黒船』は、1974年11月に発売されるのでした。
1974年11月に発売された、サディスティック・ミカ・バンドの2ndアルバム『黒船』に収められた「タイムマシーンにおねがい」。
翌年の1975年4月にアルバム『黒船』は、アメリカ、イギリスでも発売され、11月には、ロキシー・ミュージックのイギリスツアーのサポート・バンドをサディスティスティック・ミカ・バンドが務めたことで、この曲はイギリスでも高い評価を受けます。
「アルバム『黒船』を象徴する曲として、ライブでは必ず演奏したこの曲「タイムマシーンにおねがい」は、その後、サディスティスティック・ミカ・バンドの代表曲へと成長していきました。それは、まだ日本にロック音楽というジャンルが成立していない、あの時代に作られたにも関わらず、今、改めて聞いても全く違和感のないサウンドだからです。曲を作った、加藤和彦の抜群の音楽センスが大きく花開いた、曲ですね」。
最後に、ディレクターを務めた新田さんは、当時についてこう振り返ります。

日本の音楽が、世界に向かって扉を開いた、日本のロックの名曲が生まれた瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.アナザー・デイ/ポール・マッカートニー
M2.サイクリング・ブギ/サディスティック・ミカ・バンド
M3.ダンス・ハ・スンダ/サディスティック・ミカ・バンド
M4.タイムマシーンにおねがい/サディスティック・ミカ・バンド