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2010年10月29日
「ミモザ/ゴスペラーズ」

161回目の今日お届けしたのは、「ミモザ/ゴスペラーズ」でした。

「一緒にCDを作ってみないか」。
1994年に入って間もないある日、都内のライブハウスで歌っていた6人組のボーカル・グループ「ゴスペラーズ」に、誘いの声を掛けたのは、1980年代にボーカル・グループとして活躍した「ラッツ&スター」の元メンバーで、「ファイルレコード」の社長・佐藤善雄さんでした。

ゴスペラーズに、佐藤が声を掛けた日から遡ること、3年前の1991年。
早稲田大学のアカペラ・サークル「ストリート・コーナー・シンフォニー」に在籍していた・村上てつやは、高校の同級生・黒沢薫を含む6人で、ボーカル・グループ「ゴスペラーズ」を結成します。
ゴスペラーズは、リーダー・村上の"もっと知名度をあげて、もっと実力をつけたい"という考えの下、
サークルの定期演奏会以外にも、ストリートライブを頻繁に行ったり、代々木など都内のライブハウスにも定期的に出演するようになります。こうして、山下達郎、TAKE6などのカバー曲に、数曲のオリジナル曲をレパートリーに加えたゴスペラーズの名前は、単なる大学のサークルの域を飛び越えて、その人気、知名度をあげていくのでした。

佐藤義雄に声をかけられたゴスペラーズは、1994年8月に「ファイルレコード」から、オリジナル曲を収めたミニアルバム『Down To Street』を発売します。
ところが、ミニアルバムの発売から間もなく、就職活動を理由に、メンバー4人が脱退。ゴスペラーズに残った村上哲也、黒沢薫の二人は、サークルの後輩、北山陽一、酒井雄二、安岡優の3人を新メンバーに加え、新たにキューンレコードとメジャー契約を結び、1サークル時代から歌ってきた曲「Promise」で、1994年12月、メジャーデビューするのでした。

「ゴスペラーズは、学生時代から、ストリートライブとライブハウスで経験を積み、自分達なりに、歌う事に対しての自信を持っていました。しかし、彼らは、デビュー直後、より多くの人に歌を聞いてもらわなければならないというプロの壁に直面します。当時、楽器を持たず、5人だけで演奏するパフォーマンスは珍しく、ひとりでも多くの人に彼らの存在を伝えるために、DJや、ダンス、さらにはストーリー仕立てのステージ演出をライブに取り入れたり、個々のキャラクターを活かしたMCを工夫するなど、常にオーディエンスを引きつけることを考えていったんです」。現在、ゴスペラーズのマネージャーを務める伊藤さんは、当時についてこう語ります。

アマチュア時代から、ライブを積み重ねることで、ファンを増やし成長してきたゴスペラーズは、CDのセールス結果が伸び悩む中でも、1年に3~4回のツアーを行うなど、ライブ活動に取り組んでいきます。そして1997年8月、その積み重ねは実を結び、第一目標でもあった渋谷公会堂(現在の渋谷C.C.Lemonホール)でのライブを成功させます。

ライブでの評判は定着していったものの、中々ヒット曲に恵まれなかったゴスペーラズでしたが、
1999年、武者修行のつもりで訪れたアメリカ・アトランタを訪れた時に、当時マライア・キャリー、ジャネット・ジャクソンを手掛けていたプロデューサーに出会ったことが、彼らの運命を変えていきます。これまでとはまったく違うアレンジ、レコーディングスタイルでレコーディングされたシングル「永遠に」は2000年8月にリリースされ、ジワジワと売上を伸ばして、4ヵ月で3万枚を突破。最終的には、セールスチャート最高位14位、約40万枚の売上を記録するロングヒット曲となります。

さらに、翌2001年3月、ゴスペラーズは「永遠に」がセールスチャートにランクインし続ける中で、彼らの人気を決定づけるシングルをリリースするのでした。

2001年3月、ゴスペラーズは、5人の声以外の音はまったく入っていないアカペラ曲「ひとり」をリリースします。セールスチャート初登場3位を記録したこの曲は、日本の音楽史上初めてアカペラの曲がチャート3位以内にランクインするという、偉業を成し遂げます。
さらに9月には、日本武道館での初ライブを成功させて、ゴスペラーズの名前は一気に全国区へと登りつめていきます。
「日本武道館でのライブを成功させた後、普通なら、各地の主要都市で、大きい会場を中心にライブツアーを行うんですが、彼らは、少し、違っていました。彼らは、"俺達の事を知ってもらった今こそ、全国津々浦々、ライブができるところなら、どんな小さな街でも、そこへ行って、俺達の歌を聴いてもらおう"と言ったんです。学生時代から、お客さんの反応が直接分かるライブを積み重ねて、自分達の歌の力を磨いてきた彼らにとって、ライブは欠かせないものであり、そのライブで、ひとりでも多くの人に自分たちの歌を届けに行きたいと思ったんです。」

ゴスペラーズは、自分達の新たな誓いを実行するために、2002年には約3ヵ月半の間に、全国で50公演を実施します。街から街へ、ライブに明け暮れる中で、ゴスペラーズは、2003年の暮れから、翌2004年に発売を予定していた次のアルバム作りに取り組みます。
「この曲は、メンバーそれぞれが、自分のスタイルで曲を作っていく中で、黒沢が、ライブのサポートメンバーでもある佐々木真里さんと一緒に作った曲をベースに、歌詞は、メンバーの安岡にお願いしたんです。黒沢がタイトルだけを決めて、歌詞は"ラララ~"と歌っているだけのデモ音源を聴いた安岡が、決まっていたタイトルからイメージして、歌詞を書いたんです」。

「黒沢が考えたアレンジのイメージは、バラードでも、しっとりとした形ではなく、1980年代に流行った、少し大人びた、キラキラ感のあるブラックコンテンポラリーでした。安岡は、この曲のイメージと、曲のタイトルから、シャンパングラスをキーワードに、歌詞を膨らませていったんです」。

この曲は、3月発売のアルバム『Dressed up to the Nines』への収録は見送られますが、その完成度から、その年の10月に、シングルとしてリリースされるのでした。

2004年10月にリリースされた、ゴスペラーズの25枚目のシングル「ミモザ」は、トヨタ「アイシス」のCMソングに起用され、セールスチャート最高位3位を記録します。
「この曲は、発売直前からライブでも歌い始めたんですが、アカペラのバラードとはひと味違う、しっとりとした大人のバラード曲として、注目を集めたんです。街がイルミネーションで彩られ、華やかになってくる時期に発売され、文字通り彼らの中でも光を放ち続ける、ライブでは定番の曲となっていったんです」。最後に、伊藤さんは、こう話してくれました。

街を彩るイルミネーションのように、キラキラと輝き続けるバラードの名曲が生まれた瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.Gospeller's Theme/ゴスペラーズ
M2.Promise/ゴスペラーズ
M3.ひとり/ゴスペラーズ
M4.ミモザ/ゴスペラーズ