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2011年3月18日
「想い出がいっぱい/H2O」

181回目の今日お届けしたのは、「H2O/想い出がいっぱい」でした


「僕が初めてバンドを結成したのは、1973年の高校入学直後でした。中学時代の同級生、赤塩正樹君と、中島君の3人でビートルズのコピーバンド"スプリング・ブリーズ"を結成したんです。しばらくして、もう一人のメンバー藤森君が加わって、スプリング・ブリーズは、4人組となるんですが、月に1回、複数のバンドが地元の市民会館を貸し切って行うライブに出演するようになったんです」。
H2Oのメンバー、中沢堅司さんは、地元、長野県上田市で、はじめてバンドを結成した当時についてこう振り返ります。

「始めはビートルズのコピーばかり演奏していた僕らでしたが、少しずつ、オリジナル曲を作って演奏するようになったんです。東京で自分達の音楽の腕を試してみたい、と思った僕と赤塩君は、高校を卒業するときに、東京の大学で勉強したい、と親に嘘をついてそれぞれ東京の学校に進学しました。他のメンバーもそれぞれ上京して、しばらくの間は、みんなでバンド活動を続けていたんです。
でも、次第に他のメンバーとの練習スケジュールが合わなくなってバンドは自然消滅。どうしても、
音楽活動を続けたかった僕と赤塩君は、1976年にユニット「H2O」を結成したんです。全く別々の個性を持った人間が一緒になることで、化学反応を起こし、新しい個性が生まれる、という願いを、この、
ユニット名には込めました。
中学時代から、お互い、お気に入りの洋楽レコードを貸し借りしたりして、とにかく洋楽大好きだった僕と赤塩君は、英語で歌ったオリジナル曲ばかりを収めたデモテープを作ったんです」。中沢さんは、当時についてこう振り返ります。
試行錯誤を重ね、H2Oが作ったデモテープは、二人の知人を通して、キティレコードのスタッフの手に渡ります。
そして、そのデモテープがきっかけで、1980年6月、H2Oは、1stシングル「ローレライ」でデビューするのでした。

1980年6月にリリースされた、H2Oの1stシングル「ローレライ」は、薬師丸ひろ子主演の映画『翔んだカップル』の挿入歌として起用されます。
「この曲は、僕が16歳の時に初めて作った曲で、当時大好きだった、ビートルズの「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」をモチーフに作ったんです。1stシングルの候補曲は数曲あったんですが、まさか、僕が16歳の時に作った曲が選ばれるなんて、正直驚きました。自分が作った曲が選ばれて嬉しい気持ちもあったけど、その曲以降に僕が作った曲が否定されているようで、複雑な気分にもなりましした」。

H2Oは、1stシングル「ローレライ」に続き、今度は10月からフジテレビ系で放送がスタートしたTV版『翔んだカップル』の主題歌を歌うことも決まります。「映画版の挿入歌は、僕らが作った曲が起用されたんですが、TV版は僕らの曲を含む、幾つかの候補曲が用意されていたんです。
番組プロデューサーの考えで、TV版では歌謡曲路線の曲を起用したいという方針があって、残念ながら、僕らが作った曲は使ってもらえず、最終的には来生えつこさんが作詞、来生たかおさんが作曲を手掛けた曲が選ばれたんです。自分達が作った曲を使ってもらえない悔しい気持ちもありましたが、小さい頃から洋楽志向だった僕らは、歌謡曲路線の曲は書けなかったので、半分諦めもありました」。

こうして、1980年11月、TV版『翔んだカップル』の主題歌に起用されたH2Oの2ndシングル「僕等のダイアリー』がリリースされるのでした。

2ndシングル『僕等のダイアリー』をリリース後も、H2Oの二人は、彼らが幼い頃から憧れてきたザ・ビートルズ、キャロル・キングなどの、洋楽を意識したオリジナル曲を作り続けていきます。
「自分達が作った曲でヒットを飛ばしたいと思っていましたが、なかなか簡単にはいかず、歌詞は作詞家の方々に書いてもらう場合が多かったんです。ジレンマとの戦いでもありました」。中沢賢司さんは、当時についてこう振り返ります。

ジレンマを抱えながら、歌い続けていたH2Oの下へ、1982年暮れ、再びアニメ主題歌を歌うチャンスが巡ってきます。
「所属レコード会社のスタッフから、翌年の1983年3月にフジテレビ系で始まるアニメ『みゆき』の主題歌とエンディング曲を歌って欲しい、という話が舞い込んだんです。『翔んだカップル』の主題歌を歌った実績が評価されて、僕等が指名されたんですね。ただし、この時も僕らが作った曲ではなく、あくまで作家が作った曲を歌うことが条件だったんです」。

「作曲家の鈴木キサブローさんが作ったデモテープを初めて聴かせてもらった時、いい曲だな、と思ったし、1970年代にアメリカで流行った、ウエスト・コーストサウンドを意識した、骨太で男っぽい雰囲気が印象的でした。サビのメロディも分かりやすく、いったいどんな歌詞が付くのか楽しみだったんです。
ところが、当時、山口百恵さんのヒット曲などを手掛けてきた阿木燿子さんが作られた歌詞は、メロディとは全く正反対で、女性っぽいイメージを感じたんです。歌詞とメロディのバランスは大丈夫なんだろうか、レコーディング当日まで僕等は心配していたんですが、その心配は直ぐに吹き飛んだんです」。

1983年3月にリリースされた、H2Oの5枚目のシングル「想い出がいっぱい」は、彼らにとっては初めてセールスチャートにランクインし、最高位6位、約40万枚の売上を記録します。
「阿木燿子さんが、思春期の恋人たちを主人公に、別れや旅立ちをイメージさせる言葉で綴った歌詞は、卒業式シーズンにレコードが発売されたこともあって、多く人達が、歌詞の主人公と自分達を置き換え、共感を呼ぶことになりました。翌年以降も卒業式や合唱祭で歌ってもらえるようになったんです。
1985年にH2Oを解散した直後は、余りにも曲が持っているイメージが強く、僕はこの曲を歌うことを封印していたんです。しかし、僕が30歳の後半に差し掛かったある日、偶然家の近所を散歩していた時に、近くにあった杉並中学校の教室から、学生達がこの曲を歌っている歌声が聴こえてきたんです。その瞬間、曲が発売された時は、まだ産まれてもなかった学生達が、こうやってH2Oの曲を歌ってくれていることに対して、嬉しい気持ちと、この曲を封印していた自分のカッコ悪さが同時に込み上げてきたんです。自分が作った曲ではないけれど、みんなに愛され続けているこの曲を歌ったことに改めて誇りを感じた僕は、それ以来、この歌を再び歌い始めて、今では宝物のように大切な曲になっています」。
中沢さんは最後にこう語ってくれました。

アーティストのこだわりさえも捨てさせる、J-POP卒業ナンバーの名曲が生まれた瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.ぺニー・レイン/ザ・ビートルズ
M2.ローレライ/H2O
M3.僕等のダイアリー/H2O
M4.想い出がいっぱい/H2O