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食卓音楽


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2012年1月13日
「二人のアカボシ/キンモクセイ」

224回目の今日お届けしたのは、「キンモクセイ/二人のアカボシ」でした。

「メンバーそれぞれ地元の友達同士で、高校ではお互いにバンドを組んで学園祭に出たり、地元のライブハウスでイベントを組んだりと共に刺激し合い、成長し合う仲でした。その後音楽の専門学校に進んだりと本格的に音楽に打ち込むようになっていき、プロの道を意識した活動を始めるべくキンモクセイの前身となるバンドを組んだのは、音楽の専門学校を卒業した頃だったように覚えています。メンバーそれぞれ自分の得意とするジャンルは様々で、ソウルが好きだったり、はたまたパンクが好きだったり、ジャズが好きだったりと、どちらかと言うと一見お互い引き合うはずも無いような、アンバランスな組み合わせでしたが、この5人が集まった時に何故かお互いに一致するキーワードは70年代J-POPでした。
当時は、ギターロックやガレージロックが溢れる中、ライブハウスではフォークテイストだったり百恵ちゃんのカバーをしたりとめちゃくちゃ浮きまくっていましたが、周りがやっていない事をやるのは快感であり、その時代にその音を出す事にとても意義を感じていました。きっとそんな部分に自分たちの居場所を見出した瞬間が、キンモクセイの誕生だったのではないでしょうか」。
キンモクセイのボーカル伊藤俊吾さんは、バンド結成当時について、こう振り返ります。

1999年10月、神奈川県相模原市に生まれた伊藤俊吾は、音楽仲間で高校の同級生・白井雄介と、彼の幼なじみの後藤秀人、そして音楽仲間の佐々木良、張替智弘の5人で、バンド「アジアンオールスターズ」を結成。翌2000年、バンド名を「キンモクセイ」と変更した彼らは、東京・下北沢のライブハウスに出演した際に、レコード会社「BMGファンハウス」のスタッフと出会います。

「僕がキンモクセイに初めて出会ったのは、別のバンドを観るために、下北沢のライブハウスに行った時、たまたま早く着きすぎて、偶然、彼らのライブを観たのがキッカケです。キンモクセイは、ライブの中にMCや、お客さん達との掛け合いがほとんど無くて、メンバーのルックスもパッとせず、"地味なバンド"と言うイメージしか持てませんでした。ただ、年齢が若いバンドにもかかわらず、彼らは、ちょっと懐かしい、昭和の歌謡曲の匂いがする曲を演奏していて、当時のインディーズやメジャーで活躍していたバンドとは、あきらかに違う所に、僕は、興味を持って、声を掛けたんです」。
後に、「BMGファンハウス」で、キンモクセイのA&Rを担当することになる、山口さんは、彼らとの出会いをこう振返ります。

こうして、メジャーデビューへの一歩を踏み出したキンモクセイは、対バン形式を中心に、ライブを積極的に展開していきます。
「僕は、ライブを数多くこなしていく中で、キンモクセイを徹底的に鍛えて、どんなステージに出ても、他のバンドとちゃんと差別化ができる、そんなバンドにしたいと、思ったんです」。山口さんは、キンモクセイのデビュー直前の頃について、こう語ります。
キンモクセイは、2001年1月に自主制作CD「キンモクセイ約18分」をリリースした後、全国14ヵ所を回るライブハウスツアーを行い、10月に、メジャー1stシングル「僕の行方」をリリースするのでした。

「もちろん、この曲の歌詞の中に、"なごり雪は降らない"とあるのは、かぐや姫の名曲「なごり雪」にちなんだフレーズです。「なごり雪」に出てくる駅での別れのシーンを、この曲の物語の主人公が自分に重ねています。「なごり雪」の曲の中では、"季節外れの雪"が切ない別れに情感や非現実感を与えていますが、この曲「僕の行方」では実際には雪は降ってくれない現実の無機質さを表現しました」。キンモクセイの伊藤俊吾さんは、自らのデビュー曲を、こう語ります。

ロックバンドでありながら、1970年代の歌謡曲を彷彿させるようなキンモクセイのサウンドは、懐かしさと新鮮さが重なり合った、不思議な音の空間を生み出し、世代を越えた幅広いファンを獲得します。

1stシングルに続いてキンモクセイは、翌2002年1月にリリースが予定されていた2ndシングルに、デビュー直前に伊藤が作った曲を選びます。
「この曲は、僕達が、デビュー直前に作った曲の中のひとつです。メジャーデビュー、という具体的な目標が決まり、メンバー全員が1970年代を意識したサウンドを作る事に夢中になっていた頃で、バンドとしても、キンモクセイのオリジナルサウンドを確立したい、という気持ちが、沸々と湧きあがり、まさに、その気持ちが頂点に達しようとしていた時期に作った曲なんです。この曲は、冬にリリースされた曲で、どちらかと言うと、凛としたイメージがサウンドにあるような気がしますが、意外にもこの曲を作っていたのは、真夏の暑いエアコンの効かない実家の自分の部屋で、暑さと戦いながら作った事を覚えています」。

「歌詞について言うと、僕の中ではとにかく「情景描写」がテーマでした。一つでも多くの情景を誰かと共感してみたいという気持ちが、言葉数の多さや、"化学工場"や"橋の継ぎ目"などの細かいディテールの多さに現れているんだと思います。歌詞や物語の世界観ももちろんポイントですが、何よりも70年代のニューミュジックを意識したサウンド面にもこだわりました。70年代を代表するエレクトリック・ピアノ「フェンダー・ローズ」にトレモロをかけた浮遊感のあるサウンドや、ティンパンアレイを彷彿させる都会的なノスタルジックがより郷愁や切なさを誘うのだと思います」。メンバーの伊藤俊吾さんは、この曲のこだわりについて、こう語ります。

さらに、A&Rの山口さんのアイディアで、サウンド面だけでなく、ビジュアル面からも1970年代の懐かしい匂いを感じてもらうために、CDジャケットのデザインを、当時発売されていたインスタントラーメンのパケッケージを真似て作ります。
こうして、2002年1月、1970年代にこだわって作った、キンモクセイの2ndシングル「二人のアカボシ」は、リリースされるのでした。

2002年1月にリリースされた、キンモクセイの2ndシングル「二人のアカボシ」は、セールスチャート最高位10位を記録、全国のラジオ局31局ものパワープレイを獲得します。また、翌2月には、全国を地域毎に分けてCDパッケージデザインを変更した限定盤を3種類発売して、これも話題を集めます。
「この曲がヒットした事がキッカケで、その年の『NHK紅白歌合戦』にも出場するなど、この曲は、キンモクセイのメンバーそれぞれがデビュー前から模索していた、キンモクセイのオリジナルサウンドの到達点であり、スタートラインでもあったような気がします。曲を作った僕にとっても、その後自分が曲を作っていく上での、物差しにもなっています」。最後に、メンバーの伊藤俊吾さんは、こう振り返ってくれました。

バンドが進むべき道を切り拓いた、J-POP、冬の名曲が生まれた瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.夢の中へ/井上陽水
M2.僕の行方/キンモクセイ
M3.二人のアカボシ/キンモクセイ