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2012年2月 3日
「Choo Choo TRAIN/ZOO」

227回目の今日お届けしたのは、「ZOO/Choo Choo TRAIN」でした。

「僕は、大学在学中の1986年頃から、大学の先輩でもある、シンガーソングライターの池田聡さんのライブに、コーラスとして参加して、そこで出会った、音楽プロデューサーの工藤史人さんに、曲作りのイロハを教えてもらったんです。その後、僕は、作曲家としても仕事を始め、1989年か1990年だった思いますが、フォーライフレコードのスタッフからの依頼で、ZOOの1stシングルを作る事になったんです」
ZOOのデビュー直後の曲を手掛けていた、シンガーソングライターの中西圭三さんは、こう語ります。

1989年6月、テレビ朝日でスタートしたダンス番組『DADA L.M.D』に参加したダンサー8人が、ダンスユニット「L.M.Dダンサー」を結成。その年の10月に、彼らはユニット名を「ZOO」と改名し、翌1990年1月に、ダンサー1名を加え9人となります。そして、ZOOは、4月から新たに『GROOVIN SCENE DADA』としてリニューアルした番組のオープニング・テーマを、歌う事になるのでした。

「『GROOVIN SCENE DADA』は、1970年代に、アメリカの音楽シーンで一世を風靡したダンス番組、『ソウルトレイン』をイメージした番組でした。当時は、日本でも、バラエティ番組から生まれたダンスコンテスト「ダンス甲子園」が人気を集め、POPSから派生したダンス・ミュージックが、脚光を集めていた時期でした。僕も曲作りの中で、ダンス・ミュージックを意識し始めていて、そういった意味では、曲を作るタイミング的は恵まれていたと思います。」


「ただ、当時のJ-POPの中では、ダンス・ミュージックは、まだまだアンダーグラウンドなイメージが強く、代表的なアーティストだった久保田利伸さん、バブルガム・ブラザーズ、m.c.A・Tが作っていた曲も、ファンキーなリズム感を活かした曲がほとんどでした。僕は、自分がダンス・ミュージックを作るなら、彼らと同じ路線で作るのではなく、番組が"ソウルトレイン"をイメージするなら、"フィラデルフィア・ソウル"を参考にした方がいいのでないかと考えたんです。 "フィラデルフィア・ソウル"は、ストリングスやブラス・アンサンブルを使っているのが特長で、僕は、作曲を学んだ工藤さんから、そのスタイルを教えてもらったんです。僕は、弦の響きを使った曲が大好きだったこともあって、"フィラデルフィア・ソウル"が好きになり、ZOOの曲を作る事が決まった時、そのイメージで、曲を作ることを思いついたんです」。

こうして、1990年5月、中西圭三が作った、ZOOの1stシングル『Careless Dance』は、リリースされるのでした。

1990年5月、中西圭三が作った、ZOOの1stシングル「Careless Dance』は、セールスチャート最高位64位、約1万6千万の売上を記録します。
「リズム感を大切に作った、1stシングル「Careless Dance」は、『GROOVIN SCENE DADA』以外にも、同じテレビ朝日の音楽バラエティ番組『華麗にAh!so』のオープニング・テーマ曲としても使われました。しかし、二つの番組のオープニング・テーマ曲に使われたにも関わらず、セールスは今ひとつ伸び悩んだんです」

1990年冬、フォーライフレコードのスタッフは、ZOOの2ndシングルを、当時、、ZOOのライバル的な存在でもあったLLブラザーズの音楽プロデュースを手掛けていた羽田一郎に依頼します。
「まだ実績が無かった僕や、当時、一緒に曲を作っていた小西貴雄にとって、実績のある羽田さんは、当然、意識する存在でした。結果的に、2ndシングルを羽田さんが作る事が決まったことに対して、悔しかったけど、僕らにとっては、その次の曲を作るための大きな刺激となったんです」。

1991年2月、羽田一郎が手掛けた、ZOOの2ndシングル「GIVEN」はリリースされますが、セールスチャート最高位56位、約1万6千枚の売上におわり、中西圭三の下へ、7月に発売予定の、3枚目のシングルを作るチャンスが再び巡ってきます。
「ZOOのシングルを作るチャンスが、再び巡ってきた時、とにかく僕は、何か聴く人にインパクトを与える曲を作りたいと考え、当時、日本のダンスミュージックシーンの中でも、MCハマーと並んで大きくクローズアップされていた、ボビー・ブラウンを意識した、ポップで楽しく、踊れる曲を作ることを、漠然としてですが、考えたんです」

1991年7月、再び中西圭三が作った、ZOOの3rdシングル「Native」は、約3万2千枚の売上を記録し、それまでの2作と比べると、売上も、少しながら増加します。
「特にコンセプトとして狙った訳ではないんですが、曲を仕上げていくにつれて、曲にアウトドア感とヒップな感じが、ほど良く混ざり合って、セールス的には今ひとつでしたが、自分の中では、曲作りに対する手ごたえとしては残ったんです」。中西圭三さんは、この曲について、こう語ります。
そして、この3rdシングルを聴いた、JR東日本の広報担当者から、ZOO、そして中西圭三の下へ、その年の冬のJR東日本スキーキャンペーンソング提供の話が届きます。
「1980年代後半から、全国的にスキーブームが到来していて、若者は、冬になると、北海道や、新潟県の苗場や湯沢町へスキーに出掛けるようになっていました。そんな時代、JR東日本も、上越新幹線を使って、自社で運営を始めた「ガーラ湯沢スキー場」への集客を目的に、「JR東日本SKI SKIキャンペーン」を展開する事になり、そのキャンペーンソングの話を、僕とZOOの下へ持って来てくれたんです」。

「JR東日本側からは、英語で蒸気機関車の音を表現する擬音「Choo Choo 」と言う言葉を歌詞に使って、リズム感のある、ダンス・ミュージックを作って欲しいと言われました。
僕は、その「Choo Choo」と言う言葉から、イメージを膨らませ、時代が駆け抜けていくようなリズム感やテンポを持った曲を作っていったんです。さらに、当時、一緒に曲を作っていた小西貴雄が、アメリカのブラックミュージック・アーティスト「D-TRAIN」の曲「Keep On」をサンプリングして、イントロに使うことを提案してくれたんです」。中西圭三さんは当時をこう振り返ります。

出来上がったメロディに、1stシングルから、中西さんとコンビで曲を作ってきた、作詞家の佐藤ありすさんが、歌詞を付け、曲は完成します。

こうして、「雪男。雪女」をテーマに、JR東日本が始めた、「SKI SKIキャンペーン」CMソング、ZOOの4枚目のシングル「Choo Choo TRAIN」は、1991年11月にリリースされるのでした。

ZOOの4枚目のシングル「Choo Choo TRAIN」は、リリースに先駆け10月からCMがOAされると、話題を集め、11月にリリースされると、一気にブレイクし、セールスチャート最高位3位、約105万枚の売上を記録します。
「リリースから12年後の2003年、ZOOのオリジナルメンバーの一人でもあったHIROが、彼がリーダーを務めるEXILEの曲として改めてリリースして、今では、EXILEのライブでも欠かせない曲となっています。オリジナルメンバーのHIROが、立場が変わっても、この曲をリスペクトし、歌い続けくれている事に感謝しています。と同時に、これからも歌い続けて欲しいと願っています」
最後に、中西圭三さんは、こう語ってくれました。

日本のダンス・ミュージックがJ-POPのカテゴリーのひとつとして認知されるキッカケとなった、
J-POPダンスナンバーの名曲が生まれた瞬間でした。

今日OAした曲目
M1.ソウルトレインのテーマ/MFSB
M2.Careless Dance/ZOO
M3.Native/ZOO
M4.Choo Choo TRAIN/ZOO