食卓ON楽
[メニュー][トップ]

2012/03/16 16:26
MTadmin

233回目の今日お届けしたのは、「菊池桃子/卒業-GRADUATION-」でした。

「僕が彼女に初めて出会ったのは、確か1983年か1984年だったと思います。当時、僕は、杉山清貴&オメガトライブの楽曲の作曲とアレンジを担当していて、レコーディングスタジオに、当時オメガトライブのプロデューサーだった藤田浩一さんが、彼女を連れて来たんです。彼女は、まだ中学三年生で、清純という言葉がぴったりの、女の子でした」。
菊池桃子の楽曲の作曲とアレンジを手掛けた、作曲家の林哲司さんは、当時をこう振り返ります。

1968年5月、東京都品川区に生まれた菊地桃子は、中学2年の時に、彼女の親戚が経営していたレストランに飾られていた彼女の写真を見た、音楽プロデューサー藤田浩一の誘いで、芸能界入りします。
そして、1983年11月、菊池桃子は、彼女をイメージガールとして創刊された、女性アイドルグラビア雑誌、その名も『Momoco』の創刊号の表紙を飾り、その、素朴で、愛くるしい笑顔で一躍人気を集めます。
女性アイドル歌手黄金時代だった1984年、プロデューサーの藤田浩一は、菊池桃子を歌手デビューさせる事を決め、デビュー曲を、林哲司に依頼します。
「僕は、それまで、アイドルの曲は、単調な曲が多くて、あまり好きになれず、積極的には作ってこなかったんです。アイドルの場合、本人の歌唱力への配慮から、音域の幅を狭くしたり、踊りの振付のために、やたらブレイクが入ったものが多かったんです。僕は、そんな状況で曲を作る事が嫌だったので、アイドルの曲は敢えて作らず、ニューミュージック系のアーティストを中心に曲を書いていたんです。正直、藤田さんからの依頼に、初めは違和感を覚えたんですが、藤田さんと話し合って彼女の音楽の方向性を決め、最後には、納得して、曲を作ったんです」。

1984年3月、菊池桃子は、雑誌『Momoco』の1コーナーから生まれた映画『パンツの穴』のヒロインを務め、愛くるしい演技で、当時のティーンの男の子達のハートをガッチリと掴みます。そしてその勢いのまま、4月に、林哲司が作った、1stシングル「青春のいじわる」で、歌手デビューを果たすのでした。

1984年4月、林哲司が作った、菊池桃子の1stシングル「青春のいじわる」は、セールスチャート最高位13位、約14万枚のセールスを記録します。
「僕が、藤田さんと話をして決めた、彼女の音楽の方向性は、オメガトライブと同じように、メロディラインがしっかりとした曲を書くことだったんです。作詞は、秋元康さんが担当でした。秋元さんは、菊池桃子の清純さを大切に、青春時代の迷いやためらいを静かに、そして繊細に歌詞に書いたんです。プロデューサーの藤田さんは、彼女の清純なイメージを損なうような、例えば「キス」と言った言葉などは使わないように、気をつけていましたね」。

さらに林哲司は、菊池桃子の作曲・アレンジのみならず、プロデューサーの藤田浩一と共に、彼女のアルバムジャケットのビジュアル作りにも関わっていきます。
「それまでのアイドルのアルバムジャケットは、本人の顔をアップにして作ったビジュアルが多かったんです。しかし僕達は、当時の大学生が、ファッションアイテムの一つとして、お気に入りのアーティストのLPレコードを片手に持ってキャンパスを歩いていたのと同じように、菊池桃子のアルバムを持って歩いても恥ずかしくないような、ビジュアル作りにこだわったんです。楽曲のメロディラインを、ニューミュージックを意識して作ったように、アルバムのジャケットも、ニューミュージック系のアーティストのビジュアルを真似たんですね」。
林哲司さんが、こう振り替えるように、菊池桃子が1984年9月にリリースした1stアルバム『OCEAN SIDE』のジャケットは、本人のアップ写真ではなく、一見すると菊池桃子のアルバムとは気付かない、リゾート感あふれる海のイメージを全面に打ち出したものとなります。

こうして、林哲司は、菊池桃子の曲を作るだけでなく、プロデューサーの藤田浩一と共に、菊池桃子を新しいスタイルのアイドルとして育てていく事に、深く関わっていくようになるのでした。

1984年11月、林哲司が作った、菊池桃子の3rdのシングル「雪にかいたLOVE LETTER」は、セールスチャート最高位3位、約35万枚の売上を記録します。
「僕は、菊池桃子のシングル曲は、彼女のハスキーな歌声と、彼女が持っている歌唱力を活かす事を考えて、聴く人の心に残りやすいメロディで作ったんです。シングル曲の売上が、少しずつ上がっていく状況に、僕はその成果を感じていました」。

1985年、林哲司は、2月に発売される菊池桃子4枚目のシングルとして、初めてバラード曲をリリースする事を決めます。
「デビュー曲から、アップテンポの曲が続き、バラード曲を作るタイミングを図っていたんです。プロデューサーの藤田さんも、バラードを作る事に賛成してくれ、曲のテーマを考えた時、ちょうど卒業式シーズンで、ピッタリだと考えたんです」。
「卒業と言えば、悲しい別れをイメージしますが、秋元さんは、それまでの3曲と同じように、菊池桃子の清純さをキーワードに言葉を選び、しっとりとした歌詞を作ってくれたんです。その秋元さんが書いた歌詞と、僕が、柔らかい春の陽射しを感じてもらえるようなイメージで作ったメロディとが、綺麗に重なって、独特の、きらきらと輝くような、爽やかな歌の世界を作り出すことができたんです」。

こうして、1985年2月、菊池桃子4枚目のシングル「卒業-GRADUATION」は、リリースされるのでした。

1985年2月にリリースされた、菊地桃子の4枚目のシングル「卒業-GRADUATION」は、彼女にとって初めてセールスチャート最高位1位を獲得、約40万枚の売上を記録します。
「ほぼ同じ時期に、斉藤由貴さん、尾崎豊さん、倉沢淳美さんの3人が、同じタイトルでシングルをリリースしました。僕は、同じタイトルの曲がリリースされる事は知っていたんですが、あまり意識はしませんでした。それは、僕が今まで1500曲近く作ってきた中でも、菊地桃子が、特別強く印象に残る存在だったからです。初めてセールスチャートで1位を獲得したこの曲は、作品性、菊地桃子のハスキーで可愛い歌声、そして彼女の持っている歌唱力、さらに季節感が見事に重なった曲だと思っています」。
最後に、林哲司さんは、こう語ってくれました。

新しい女性アイドルのスタイルを追い求めた作曲家が、その個性を活かして生まれた
J-POP卒業ソングの名曲が生まれた瞬間でした

今日OAした曲目
M1.君のハートはマリンブルー/杉山清貴&オメガトライブ
M2.青春のいじわる/菊池桃子
M3.雪にかいたLOVE LETTER/菊池桃子
M4.卒業-GRADUATION-/菊池桃子